YUKIKAWA自己紹介(前半)
- 4月24日
- 読了時間: 7分
この記事を開いてくれてありがとう。
あなたが読んでいるこの文章は、翻訳された文章である。
私は有名人ではない。
あなたが暮らす国で、この文章を読んでいるのは、きっとあなただけ。
あなただけがYUKIKAWAという日本人画家を知っている。
この文章はその入り口。

YUKIKAWAについて自己紹介(前半)
■ 読む時間がない方へのまとめ
幾何学・抽象的なデジタルアートを作ってる。
京都の田舎の農家に生まれ、東京の機関投資家を経て、現在はアートの世界にいる。
田舎の貧しさの中で育ち、無駄を削った後に残るものに価値を感じるようになった。
■ 幸いにも読む時間がある方へ
ここから先の文章は、私に興味のある人以外にとっては、きっと面白くはない。
補足1:実は、私に興味のある人にとっても面白くない可能性が残されている。
補足2:こうやって自分の失敗を事前に言い訳しておくのが、日本人の習性である。
■ 活動拠点
私は東京と京都を活動の基盤にしている。
・ 東京とは?
ある欧米出身の知人に聞いた。
「東京ってどんなイメージ?」
「新宿はネオンが怪しく光るエキゾチックな街で、雨が降っているとサイバーパンクな雰囲気かな。渋谷の交差点では人々が規則的に行きかっている。ビジネスマン達がスケジュール通りの毎日を生きて、儀式的ですらあるコミュニケーションを駆使して苛烈に働く。アニメでそう学んだ。合ってるだろ?」
こう答えたアメリカ出身の彼はその時泥酔していたが、回答内容は正確だった。彼は実は日本人だったのかもしれない。
彼は「最近、仕事中毒なんだ」とも言った。やはり彼は日本人だったのかもしれない。
私の視点で東京の特徴を補足する。
やけに物価が高い。
六本木のナイトクラブでは欧米のヒットチャートの音楽が流れ続ける。
・京都とは?
ある東南アジア出身の方に聞いた。
「京都ってどんなイメージ?」
「古い神社や寺、芸者、伝統的な衣食住、和の心。一度は訪れるべき日本の古都だが、東京からやや遠い。僧侶達はスケジュール通りの毎日を生きて、儀式的なコミュニケーションを駆使して程々に祈る。そうだろ?」
こう答えたシンガポール出身の彼もその時泥酔していたが、回答内容は正確だった。彼は実は日本人だったのかもしれない。
彼は「仕事が忙しすぎて死にそう」とも言った。やはり彼は日本人だったのかもしれない。
私の視点で京都の特徴を補足する。
やけに物価が高い。
河原町(祇園の近く)のナイトクラブでは欧米のヒットチャートの音楽が流れ続ける。
日本人が抱く東京と京都へのイメージも、大枠としては近いものがある。
実際にそこに生きる人々の実感は全く違うものだけれど。
(このブログとは関係がないが、日本に来た外国人は日本に慣れるにつれて、いつの間にか仕事中毒になるようだ。気がついたころにはもう手遅れで、母国に帰国してもお辞儀をしつづけるし、ビジネス的な笑顔がいつもの表情になる。彼らは日曜日の朝に過酷な仕事の予定を考えるという幸せな人生を手に入れる。私はフロリダに移住したい。)
さて、本題に入って私の生い立ちについて書く。
あなたの人生に似ている部分もあれば、正反対の部分もあるだろう。
その「似ている」と「違う」の積み重ねが、私の作品を見る時に調味料となる。
人は千差万別の人生を生きるのだから、見る人ごとに私の作品の味は変わる。
1.私の起源:貧しい田舎
20世紀後半、日本の古都"京都"から約60キロメートル(37マイル)離れた山間の村に生まれ、そこで18歳まで暮らした。

山と田畑しかない、驚異的にさびれた田舎。申し訳程度に民家もあるが、どこの家も一部が錆びている。過疎化というよりは廃墟化という言葉が似合う。日本なのに21世紀になっても下水道が通っていない。
国道沿いにある怪しげなホテル(モーテル)の存在はかろうじて人間の営みの存在をうかがわせるが、私はそこに入っていく車を見たことはなく、やはり廃墟なのかもしれなかった。
人々の仕事はおおむね農業かそれに似たもので、やせ細った老父と背の曲がった老婆が多い。おそらく私もそうなる。
出歩くと人に出会うことは稀で、野生動物を見かけることの方が多い。母の知人は、運転中に鹿が車に突進してきてフロントガラスを突き破り、鹿の角が頭部に直撃した結果、脳にダメージを負って亡くなった。大都会東京に出るまでの私にとって、鹿と熊が恐怖の象徴だった。現在は金融市場の熊(ベアマーケット=下落相場)が怖い。
文明の発展から取り残された田舎だったが、山々のはるか上空を通過する飛行機(私にとって科学・無機質の象徴)やテレビの存在のおかげで、自分がこの文明世界の一部であることは自覚できた。しかし、『山と上空の飛行機との間にある絶対的な距離』や『テレビに映る東京の華やかな映像と私の現実生活との間にあるギャップ』によって、一層、自分が世界から隔絶されているように感じられた。
未来に進まない世界に生きる私の生活こそが現実で、今を生きる遠く離れた外の世界は偽物であると思った。

この手の閉塞感はあらゆる国の田舎の若者(かつてのあなたもそうかもしれない)が感じている、ありきたりなものだ。しかし、未来への活力にもなる。
2.保守的で伝統的な家族
小さな農家の第一子として生まれた。
生家はその土地で200年以上前(江戸時代)から代々続く農家だが、第二次世界大戦後の彼らの暮らしは非常に貧しかった。
私が生まれた頃ですら、山で山菜をとって田畑で米と野菜を作る自給自足に近い生活。加えて、母の極度の健康志向は、私の食生活を京都の僧侶よりもベジタリアンにした。
(抑圧された民族が立ち上がるように、時計の針が進むように、それはそれは自然に、当然起こる出来事のように、大人になった私は、母の作る伝統的で低カロリーな野菜スープよりも、太った店員が売っているコーラとハンバーガーとラーメンをとても愛するようになったのだった。)
家族の特徴は、京都に近いということもあり、伝統的で保守的、困ったことに過度に厳格だった。(私も、ラーメンのスープを一滴も残さない程度には厳格である。しかし野菜の命に対しては寛容である。)
さて、ここで私の創作に影響を与えた可能性のある二人について、以下に特記しておく。
・祖父
第二次世界大戦(WW2)の頃は陸軍に所属する軍人であり、憲兵だった。当時の思想教育の影響なのか祖父は軍国主義的であり、平和主義な私とは正反対の人物だった。厳格な人物で、私が最後に聞いた彼の言葉は、「夜9時だ。早く寝ろ!」。晩年の彼はアルツハイマー型認知症で、彼がその言葉を発した実際の時刻は午前1時だった。
アルコール中毒が元で亡くなった。
考え方や思想は私と違うが、自分の信念に従った生き方という点では祖父から学んだことが多かった。
・祖母(最も偉大な人物)
古今東西のあらゆる知識をもっている存在で、常に平常心を持っており、あらゆるお菓子を作ることが出来る全知全能(幼い私はそう感じた)の存在だった。生まれる時代が違えばGoogleのCEOになれたと信じている。程々に厳格だった。
幼少期の私を恐ろしいおとぎ話(仏教世界の地獄の話)で震え上がらせることと、料理が得意だった。カボチャパイを作りながら祖母は言った。(以下、要約)
「この家系は江戸時代中期(18世紀頃)から続く。町の大商家から分家して、代々この土地と墓を守って農業をしてきた。お前で12代目」
「昔は裕福だった。戦争で日本が負けて平和になったが、農地改革があって貧しくなった」
(私の血中コレステロール値も貧しかったので、私の胃は彼女が作ったお菓子のカロリーの価値を知り始めていた。)

戦後の日本はマクロで経済回復・発展に向かったが、局所的には貧しさが残った。
その影響を20世紀末まで受け続けたのが、私の実家だった。
私の精神的パトロンであった祖母は、最近、肺炎で亡くなった。
このような環境で私の感性は作られた。
貧しいから、無駄なものを削る。
削いで、削いで、最後まで残ったものに価値がある。
これは、日本伝統の価値観である「わびさび」と共通する部分もある。
この感性は私の作品の中にも表れている。

文章が長くなってきた。
この文章を書いている現在、東京時間の21時。
祖父が生きていれば、私に床に就くように命令を出す時間なので、今回はここまで。
次回の記事で、私とアートの接点に触れる。














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