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YUKIKAWA自己紹介(後半)

4月24日
読了時間: 7分

この記事を開いてくれてありがとう。

あなたが読んでいるこの文章は、翻訳された文章である。



私は有名人ではない。

あなたが暮らす国で、この文章を読んでいるのは、きっとあなただけ。

あなただけがYUKIKAWAという日本人画家を知っている。

この文章はその入り口。

YUKIKAWAロゴ


YUKIKAWAについて自己紹介(後半)



■ 読む時間がない方へのまとめ

  • 幾何学・抽象的なデジタルアートを作ってる。

  • 京都の田舎の農家に生まれ、東京の機関投資家を経て、現在はアートの世界にいる。

  • 実家の副業が私の感性を作り、貧しさの中で私は自分のための創作を始めた。

  • 航空宇宙工学や金融市場の崩壊、そして自然災害が私の創作テーマに影響を与えた。


■ 幸いにも読む時間がある方へ

  • 前回の記事と同じく、ここから先の文章は私に興味のある人以外にとって、きっと面白くない。

  • 補足1:面白いと感じるようなら、あなたは疲れている。小説でも読もう。

  • 補足2:私は小説より映画が好きだ。





1.アートへの入り口


日本の伝統の一つに「着物」がある。

伝統的な着物

日本の昔ながらの衣服で、形式は様々だが、上質なものはおおむね絹で仕立てられる。

現代の日本人の多くは、結婚式や葬儀といった特別な機会でしか着ることがない。


京都の葵祭(京都の三大祭り。5月に行われる)では華やかな着物で着飾った人々をみることができる。

平安時代(千年前)から、貴族文化が栄えた京都では着物を仕立てるために様々な絹が必要とされた。


18世紀になってからではあったが、京都に近いということもあり、私の故郷周辺でも織物業が盛んになった。

実家の生業は農業だったが、貧しかったため女性達は副業として織物をした。母方の実家も機織りに従事していた。そのおかげで幼いころから「創造」「色彩」に触れ合うことになった。


機織りでは、あらかじめ模様、配色を計画してから作業を行う。もちろん、意図しない失敗から生まれたグラデーションもあるが、基本的には計画性・規則性に基づいて「美」を生み出す。異論もあるかもしれないが、少なくとも私はそう習った。

色とりどりな幾何学模様

現在、伝統を継承する人が少なくなり、さらに着物・絹織物の需要も減った。つまり、産業として衰退している。21世紀に入った頃には私の実家の機織機も撤去されていた。かつて色とりどりの絹を織ってきた思い出の場所で祖母は言った。「ここは漬物小屋にする」と。

ほどなくして、伝統的な絹織物の空間は、謎の匂いが支配する危険なエリアになった。



2.デジタルアートとの出会い


小学生(6歳~12歳)の頃、年に一度、古紙回収という地域行事があった。

子供達が限られた資源の重要性を学ぶため、大人の運転する軽トラックに同乗し、家々を回って古くなった本を回収して小学校の校庭に運び、リサイクル業者に引き渡すというものだ。その総量は貿易船の輸送用コンテナ2個分にもなる。

しかし、残念ながらこの行事で幼い子供達が資源の重要性を学ぶことはほとんどない。

子供達は廃品として引き渡される漫画を自分の鞄に詰め込むことに没頭する。中には大人向け(色々な意味で)の雑誌を集める者もおり、非難されたが、同時にヒーローでもあった。

かくいう私は「珍しいものを手に入れる」という目的で参加していた。

毎年不作が続いていたが、10歳の時に参加した際、校庭に集められたゴミ山から、ハガキサイズの本がこぼれ落ちるのが見えた。

紙ゴミの山

拾い上げて見てみると、それまで私が見たことのない、鮮やかな色調の絵が描かれていた。

どうやらそれはある画家の作品を印刷したポストカード集だった。そこには、貧しい農家に生まれた私は生涯見ることがないであろう外国の自然が、色彩豊かに、ダイナミックに印刷されていた。絹織物の規則的で明確な色彩と対比して、あまりに滑らかな色と色の繋がりが不気味だった。


しかし、「こんなにも美しいものが存在するのか」と思った。

同時に、「好きじゃない。けど、すごい」と感じた。


私はそれを古紙回収労働の戦利品として持ち帰り、毎日眺めた。

当時の私には読めなかったが、どのページの絵にも同じアルファベットのサインが入っており、母から、それは著名なデジタルアート画家のものであると聞かされた。

金額を考えるとその画家の絵を買うことは到底できないが、両親はその画家の絵が印刷されたジグソーパズルを与えてくれた。



3.収集と学習


中学生(12歳~15歳)の頃から、私は美しいと感じるものを収集するようになった。

ガラクタのように売られているガラス細工や、小さな花瓶。共通して、どれもシンプルなデザインの中にランダム性、不確実性が同居しているものだった。

アンティークの時計

収集のための資金として、学友の間で流行っていたカードゲームの転売や購入の仲介・とりまとめといった小さなビジネスで小銭を稼いだ。

最も興味がある絵画は高くて買えなかったが、当時の私はカレンダーの線描や構図に美しさを感じたため、それを絵画の代わりに飾った。今でも実家には10年以上前のカレンダーが壁にかかりっぱなしになっている。



17歳の頃、私の通う高校のある街で当時興味を持っていた画家の作品展が行われることになった。入場料は無料だったので、絵画に興味のない友人を無理やり引きつれて会場に向かった。

美術館での作品展

世間知らずだった私は「安い作品があれば買おう」と、意気揚々と会場を回ったのだが、レプリカですら、どれも私の予算の100倍以上の値段だった。最終的に、私の感性に完璧にマッチしていると思える作品には出会わなかったのだが、どの作品も平均的な日本のビジネスマンの月収2か月分より高い値段がついていた。

友人は言った。「高いね。金持ちにならないと一生買えない」

的確で悲しい言葉だった。

貧乏には慣れていたが、私は今も未来も欲しいものが手に入らない可能性が高いことを実感したことで、切迫感とひもじさを噛み締めることになった。


この体験は私の人生を前に進めることになる。


私は人生の進路を金融業界に向け、大学受験の勉強の傍ら、金融市場や経済に関する独学を開始した。


同時期、他人の作った作品を買うことに疑問を持つようになった私は、こう考えるようになった。

「私を完璧に満足させることのない作品になぜ大金を出さなければならないのか」


「自分自身の手で、自分にとって美しく、納得いくものを作ればいい」という着想を得た。



4.東京で創作開始



大学進学に伴って東京に出ると、私は自分のための創作活動を開始した。

パソコンで図形を描き、印刷して安い額縁に入れて部屋に飾るといった具合に。


大学では、航空宇宙工学を専攻した。

専門は数値流体力学。

飛行機が好きということもあったのだが、航空宇宙工学は金融工学につながるところがあったため、金融業界への布石としての選択だった。

余談だが、アメリカでロケット開発が縮小した1980年代にNASAの技術者がウォール街に流れ、金融工学が発展したという経緯がある。

打ち上げられたロケットが空に描く曲線

航空宇宙工学の影響か、作品のテーマは「規則性」や「無機物と効率化」が中心となった。


卒業後は銀行に勤務し、数年間は法人向けの融資の審査や企業の格付に従事し、その後、金融市場部門で経済分析や資産運用に取り組んだ。金融危機や自然災害を経験する中で作品のテーマは「不規則性と不確実性」や「感情と数値」といったものに変化していった。

金融商品の価格チャート

ちなみにこのテーマというのは私がそう言っているだけで、作品を見ただけでその趣旨が伝わるとは断言できない。芸術に関する教育を受けていない私は、伝えるための技術を知らない。ただ自分が思ったものを作ることしかできない。


私の作品の、あなたにとっての意味は、あなたが決めるべきものだ。



ある時、私の部屋で一緒に酒を飲んでいたバンカーが壁に吊るされている私の絵を見てこう言った。

「俺もそれと同じ絵を飾りたい。誰の絵?」

唐突なその一言は私の心を思い切り殴った、ような衝撃もしくは感動をもたらした。

元々私の絵は人のために作ったものではい。しかし友人の一言で「自分の感性が伝わる感動」が私の中に芽生えた。いや、あるいは、元々あった「表現への欲求」に気づいたのか、とにかく私は自分の絵を人に伝えたいと思うようになった。


彼の発言よって「私の絵」は、彼の中で「誰かの作品」となり、私の中で「私の作品」になった。


その後、私の作品はその友人を介して東京のごく一部のビジネスマン達に広まった。

作品 円周率 小数点以下698桁

それから数年後、それまでの経験を生かした新たな収入源もみつかり、私は金融機関を退職して作品作りに多くの時間を割くことにした。

その“友人”は、私が金融業界を去ることを伝えた際には「未来を捨てるか」と激怒したが、今では“親友”である。




2026年現在は「規則性の中の不規則性」「不規則性の中の規則性」「非統一」をテーマに創作活動を行っている。


今回はここまで。

次回はまた気の向いたときに。

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